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Kiori Kawabeストラスブルゴ福岡店ウイメンズ

川邉 季織

TITLEChapitre 8 MARIAGE FRÉRE ~馥郁たる香りと寛ぎの時間~

2017.10.20

【川邉季織の文藝日誌】

STRASBURGO福岡店勤務の川邉季織が気ままに綴る文藝日誌。

本日は第8回目の日誌提出

難しい小論や解説はよして、しばしの閑話でございます。




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「何かお飲み物はいかがでしょう?」

ストラスブルゴでお買い物をしていると、スタッフからそう尋ねられる場面があります。

日差しが鋭くたまらない日のご来店や、

たくさんご試着いただいたあとの小休憩、

お連れ様のお待ち時間などなど、

スタッフがドリンクサービスのご提案をさせていただくことがあるのです。

 

 ドリンクメニューは在庫状況によって異なりますが、

なかでも、季節を問わず女性のお客様からご好評をいただいているのが「紅茶」です。



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ストラスブルゴがお客様にとって快適で寛いだ空間であるように、との思いから

MARIAGE FRÉRES社のフレーバーティー、マルコ・ポーロをご用意しています。

フランスのマリアージュ家は17世紀から代々、ペルシャやマダカスカル諸島との通商に携わる家系でした。植民地産のお茶や香辛料、食料品をあつかう商いを伝統とし、父親から息子へと引き継がれた家業はリールからパリへと拠点を移します。

そして1854年に、アンリとエドゥアールのマリアージュ兄弟が、当時パリの中心であったマレ地区に紅茶専門店「MARIAGE FRÉRES(マリアージュ兄弟の意)」を開店しました。

はるか海のかなたにある中国やセイロンとのルートを維持してきたMARIAGE FRÉREは、フランスで最初のお茶の輸入会社として、良家や高級食料品店、サロン・ド・テや格式のある高級ホテルにお茶を卸すようになり、その品質の確かさは今日まで高く評価され続けています。



「お茶は高貴な飲み物である。お茶を入れる支度は技術と伝統が出会う芸術である。」

とはアンリ・マリアージュが遺した言葉であり、彼は日本茶や中国茶にあるような伝統様式や作法を紅茶の中にも見出し、〈L'art français du thé=フランス流紅茶芸術の確立をライフワークとしました。



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ストラスブルゴでお出ししているマルコ・ポーロは、MARIAGE FRÉREの紅茶の中でも特に人気のフレーバーティーです。中国とチベットの花と果物による特別な芳香が、計算しつくされた割合で調合され、優雅で贅沢な時間を演出します。

私どもスタッフは、この一流の茶葉を台無しにしてしまわないように、MARIAGE FRÉRE社の求めるきちんとした手順を踏んで、お客様に紅茶を準備しています。

ティーポットとカップをあたため

茶匙1杯の茶葉へ、あつあつのお湯を注ぎます

 茶葉が循環して浸出するまで、たっぷり2分間~3分間待ち

 カップに注いだ後、しばらくの時をおいて香りが高まったら

 最高の紅茶を味わっていただくべく、やっとお客様のもとへカップをお持ちします。

そんな訳で、ストラスブルゴのドリンクメニューの中で紅茶は、最も給仕に時間のかかる飲料なのです。

同時に、お客様から「美味しい紅茶!」とご好評をいただいたときの喜びもひとしおです。

お客様の中には、ストラスブルゴでドリンクサービスを提案されたら紅茶しか頼まないと決めている方もいらっしゃるとか。

 機会がありましたら是非、スタッフにお申しつけくださいませ。

スタッフ一同、心を込めてご用意いたします。




 いつもストラスブルゴ福岡店をご愛顧頂いている皆様と

もっともっと知的で洗練された時間を共有したい...

その思いから始まった【川邉季織の文藝日誌】

第6.5回はMARIAGE FRÉREについて余談をいたしました。

次回は閑話休題。紅茶を飲みながらごゆるりとお待ちください。




※混雑時やSALE期間中はドリンクサービスを控えさせていただきます。

TITLEChapitre 7. 『女生徒』 ~純粋という名の不道徳~

2017.05.30

【川邉季織の文藝日誌】

STRASBURGO福岡店勤務の川邉季織が気ままに綴る文藝日誌。

のろのろ更新に終止符を打つべく、ようやくPCの電源をONに。

先日、中学生の娘様とご一緒にこのページを購読いただいているという感涙を禁じ得ないお言葉をお客様より頂戴しました。誠にありがとうございます。

それならば!と川邉が書棚から取り出してきたのは、在りし日の思い出が頁の隙間から滲む1冊。

学生のうちにぜひ一度は読んでいただきたい、太宰治著『女生徒』(1939年発表)です。



__おやすみなさい。

私は、王子さまのいないシンデレラ姫。

あたし、東京の、どこに住んでいるか、ごぞんじですか?

もう、ふたたびお目にかかりません。___

               (太宰治著『女生徒』より抜粋)



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「太宰は暗い」というイメージはいつからのものでしょうか?


薬物中毒に度重なる自殺未遂、そして自堕落な私生活。

強烈な自己愛と自己嫌悪の往来を伺わせる数々の執筆作品を世に送り出し、破滅型の作家として有名になりすぎてしまったきらいはありますが、多感な中高生向けの推薦図書に『斜陽』や『人間失格』といった息苦しいほど鬱屈した空気の立ち込める作品ばかりを並べているのも、その一因のように思えてなりません。

太宰治の作品に影響されて消極的なニヒリズムに陥り、そこから抜け出せなくなってしまうことを確かに"太宰病"と呼んでいますが、中学生や高校生には是非、「明るい太宰」も薦めるべきです。

明るいと一口に言っても、からりとした笑いを誘う喜劇や天真爛漫な主題といった類の明るさとは違います。

多くの太宰作品に共通している陰鬱さや退廃性は影となり、太宰治自身の愛、安らぎ、癒し、知性、これらの側面がその独特な着眼点と透徹した文体を伴って凝集されたような作品。

そうした「明るい太宰」の作品は、純度の高い水のように、すっと心に浸透してくるものです。


『女生徒』もそんな太宰作品のひとつ。

ある女生徒が朝起きて夜眠るまでを女生徒自身の視線で書いたこの小説は、太宰治の創作活動において中期頃とされる1939年に『文學会』4月号で初掲載されました。のちに『駆け込み訴へ』(1940年発表)や『斜陽』(1947年発表)などを引き合いにしてしばしば太宰治の十八番と言われた「独白形式(=一人称体)」の確立過程を思わせる、実験的な作品です。

いつだったか、偶然手にした本のあとがきで「小説を書く人間は全員、両性具有である」と述べているのを読んだ記憶がありますが、まさしく太宰治は男性でありながら女心の代弁者と言えるでしょう。それも、第一級の。
当時、芥川賞の選考委員となり、"日本文学振興会"の理事に就任するなど文壇の高みにいた川端康成は『女生徒』を読んで、巧みに描かれた女心の解釈・分析、その理解の在り方に感動し激賞を送りました。
『女生徒』発表の4年前、第一回芥川賞の受賞を逃した太宰が選考委員であった川端康成に殺害予告を掲げたことはあまりに知られた事件ですが、そのような確執があったにもかかわらず「『女生徒』のような作品に出会えることは幸せ」と川端康成に評されるだけの魅力をこの作品は持っていたということです。



サラリイマンの眼が濁っていると批判したり

自分の下着に薔薇の刺繍があることを自分しか知らないと優越感に浸ったり

本を読んで妙に清らかな決意をしたかと思えば

その直後に他人を"ぶってやりたい"ほど憎んだり

今日は虐めた飼い犬を明日は可愛がってやろうと考えたり。

そして、「美しく生きたいと思います」と言ってみる。


すでに少女と呼ぶには育ちすぎており、しかし女と呼ぶには未成熟な不気味さ。     
時々の思いや感情は真剣ながら、駆け抜けるように心の上を通り過ぎてゆく__。


なんて裏腹な、乙女心。

なんて直情的な、女心。


こうした情的過程の起伏や揺れといったものは女である身にしかやってこないと思っていたのですが、それを書き纏めてしまう太宰の女性という性への愛を感じます。



ちなみに、私にとってこの作品の初読は小学校6年生。次に中学2年生の夏。

そして直近で手に取ったのは大学4年生の卒業論文提出前でした(提出期限に切羽詰まって専攻分野外のものを読みたくなる症候群だったようです)。

目を通す度に、決まって心に留まる一節がありました。



__ 美しさに、内容なんてあってたまるものか。

純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。___

                        (太宰治著『女生徒』より抜粋)



この場合の"無道徳"とは言わずもがな、混沌ではなく空虚のことなのですが、人間には誰しも空虚について考えたがる時期というものがあり、それはだいたい中学生~高校生のあいだであるというのが私の意見です。『女生徒』に描かれる人格の、厭世的でありながら同時に自分が今いる世界への愛着や馴れ馴れしさを隠しきれないでいる、いわゆるマージナル・マン(境界人)としての側面は筆者、太宰治の生き様を思わせるものがあります。

小説家には、自身の人格と作品のあいだに距離をおくタイプと、どうあがいても自身の根源的な欲求や抑圧を行間に潜ませてしまうタイプがありますが、太宰治は明らかに後者であり、それは作品の主題やプロットに関わらず「これが太宰治の小説である」という一種のレーベルになっているような感覚さえありますね。



学生のうちに読んでいただきたい...というのはもちろん初読のことであり、優れた文学作品はそれを読む時と場所によって実に多様で豊かな余韻を与えてくれるものです。女性の読者には、歳を重ねる毎にこの『女生徒』に書かれた純粋さと痛々しさを懐かしく自分のことのように思われるでしょう。また男性の読者には、歳を重ねる毎に女性の本能的とも言える裏腹さを感じ取り、その裏腹さをこそ可憐と捉えて下さったらと願ってやみません。

【川邉季織の文藝日誌】、今回は太宰治著『女生徒』について提出いたしました。

TITLEChapitre 6. 薬指の標本~浸食する靴と彼女~

2017.01.10

【川邉季織の文藝日誌】

STRASBURGO福岡店勤務の川邉季織が気ままに綴る文藝日誌。



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小川洋子著『薬指の標本』(1998) ※左:仏語版ペーパーバック 

                   右:2005年公開のフランス映画



海外で有名な日本人作家といえば____

かつてノーベル文学賞を受賞して世界的知名度を確固とした川端康成と大江健三郎はもちろん、現代日本文学界の第一線をゆく村上春樹を思い浮かべない方はないでしょう(ちなみに村上春樹氏は、来る2月24日に新潮社から新刊の発売を予定しており、世界中のハルキストが待ち焦がれていますね)。

館長がフランスに留学していたとき、読書好きな友人に同じ質問をすると、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、と純日本文学作家の名前がならび、次は当然、村上春樹。そしてかなりの確率で「ヨーコ・オガワ!」と好意的な声で挙げられたものでした。

19世紀中頃、主にフランスで顕著となったジャポニスムが象徴する通り、島国特有の排他的文化を背景に育まれた「日本人の美意識」は、それまで西洋文化が礼賛してきた美の在り方に変革をもたらしました。人々は新たな美の視点を獲得するとともに、異文化の介入をほとんど許してこなかった断絶的で秘匿された日本の伝統と文化に、ある種の神秘を感じたのでした。

そして21世紀の今日、様々な人種と文化が混在するフランスにおいて、日本文化はかなり歓迎されている部類だと言って良いでしょう。柔道や剣道、茶の湯や禅など、フランス文化に浸透して最早その一部になったかと思われるものも多く、熱狂的な日本趣味を抱き続けるフランス人も少なくありません。

文学も例外ではなく、フランスの海外文学を扱う書店に行けば littérature japonaise(=日本文学)の棚は大抵、予想よりもはるかに幅をとっています。古典や純文学だけでなく、今話題のベストセラーから新人作家の処女作まで。日本並みの完璧な品揃えとはゆきませんが、国外の書店としては豊富です。


さて、件の「ヨーコ・オガワ!」というのは、芥川賞や泉鏡花賞など数々の権威ある日本文学賞に輝いた作家、小川洋子女史のことであり、先に述べたようなフランスの書店で彼女の作品を見つけるのは至極簡単です。村上春樹がアメリカで愛されている作家とするならば、小川洋子は間違いなくフランスで愛されている作家です
。処女作の『揚羽蝶が壊れる時』や日本で注目が集まった『博士の愛した数式』など、ほとんどの作品がフランスで翻訳出版され高い評価を得ています。

今回ご紹介する小川洋子著『薬指の標本』は、1992年7月に文芸雑誌『新潮』に初掲載されました。2年後の1994年に新潮社から単行本が出版され、2005年にはセザール賞を受賞したフランス人映画監督ディアーヌ・ベルトランによって映画化されました。



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 清涼飲料水の工場で機械に薬指の先を挟んで切断してしまった"私"は、街を彷徨うあいだにたどり着いた〈標本室〉で事務員として働くことになる。

火事で焼けた家の跡に生えたきのこ、亡くなった恋人が作曲した音楽、大切に育てていた文鳥のちいさな骨――それぞれの記憶にまつわる物を標本にしてほしいと〈標本室〉を訪れる依頼者たち。

 そしてある日、"私"は雇い主の標本技術士から「毎日履いてほしい」と靴を贈られるが...

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(主演のオルガ・キュリレンコは、この映画の後、007シリーズにボンドガールとして出演して大きな成功をつかみました)



小川洋子はこれまでの作品で、喪失や孤独、生と死、官能と回帰など、一見してネガティブであったり哲学的であったりするテーマを扱ってきました。すべての作品に共通するのは、圧倒的な静謐。しかし、繊細かつ緻密な言葉運びに加え、作者自身の赦しと救いが感じられるストーリーテーラー振りで、読了感が憂鬱だけで終わらない独特な世界観をつくりだしています。

『薬指の標本』では、"私"が身体の一部である薬指の先を失う「喪失」のメタファーに続き、履かせられた靴によって絡めとられ、浸食されてゆく、支配と隷属の「官能」を描いています。なかでも、標本技師が"私"のスニーカーを脱がせ新しい靴に足を入れさせる場面の描写は秀逸です。静まりかえった空間に響く靴音は、この物語が結末へと向かって滑り出したことを告げるホイッスルのように、鋭く際立った響きを読者の耳に感じさせます。



「___僕に新しい靴をプレゼントさせてほしい。」

「まぁ、ぴったりだわ。(中略)・・・まるで、わたしの足型を取ってから作った靴みたい。」

「・・・これからは、毎日その靴をはいてほしい。電車に乗る時も、仕事中も、休憩時間も、僕が見ている時も見ていない時も、とにかくずっとだ。いいね。」

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___朝、革靴に足を突っ込む時はいつも、ふくらはぎをつかんでいた彼の指の感触を思い出す。・・・(中略)靴は軽やかで、歩きやすかった。ただある瞬間ふと、両足にすき間なく吸いついてくるように感じることがあった。そんなときは、彼に足だけをきつく抱き締められているような気分だった___



靴が次第に足を浸食し、身体と同化して標本技師の支配から抜け出せなくなってゆく過程を、小川洋子は心理的側面と感覚的側面の両方から読者に提示します。しかしこれはいずれも精神上の往来であり、読者が肉体的側面の支配と隷属を意識するのはもっと頁が進んだあとのことです。小川洋子は複雑な文章を書かない作家という印象があります。小学校時代に使った教本のように平易で優しい文体から滲む、不穏な予感と安らぎが綯い交ぜになった空気は読者を包み、締めつけ、いつの間にか私たちは小川ワールドに閉じ込められているのです。『薬指の標本』を読み終わるとき、束縛されたのは主人公だけではなかったと、私たちは気付くことになります。

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私がはじめてこの本を手に取ったのは、2002年のこと。

標本技師が"私"に贈った靴は一体どんな靴なのだろう?と思いを巡らせていました。

そしてそれは何となく、丁寧になめされた上質で柔らかな革でつくられた靴であるように考えていました。

映画を観たのはもっとずっとあと。

原作に比べると映画版は、セクシュアリティやミステリーを演出しすぎているように感じますが、劇的な起伏のない密やかな映像がフランス映画にしか出せないニュアンスと相まって、眠れない夜にひとりで観たいような、そんな謐かな作品になっています。

監督のベルトラン氏が原作から読み取ったメタファーが視覚化されたことで、内容がより深まった点もあります。監督は物語の主要な小道具となる靴にこだわり、この映画のためにデザイン・製作させてサイズ違いを何足も用意し、撮影がすすむ毎に女優に履かせる靴を小さくしていったということです。また、映画版では"私"が橋を渡る場面が多く挿入されました。生活の拠点となるホテルは港町にあり、"私"が〈標本室〉へ通勤するためには橋を渡らなくてはなりません。これは館長の私見ですが、橋は此岸と彼岸、現実と幻想、生と死をつなぐ中間地点の役割を果たしていたように思います。2つの場所を行き来する"私"ですが、〈標本室〉から肌身離さず履いてきた靴だけは絡みつく蔦のように"私"の足を束縛し、やがて人の知らぬ深淵へと引きずり込んでゆくのでした。鑑賞者にこういった思考の展開余地を与える手法ひとつとっても、ベルトラン氏がいかに小川洋子作品の熱心な読者であったか伺わせるものがありますね。



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標本技師が贈った靴はどんな風だったのだろう___?

今私の考えるそれは、映画を観たからでしょうか、どこか古風で折り目正しい印象のメアリー・ジェーンであるような気がしています。

丸みを帯びてつま先を柔らかく包むラウンドトゥに、甲を落ち着かせる一重あるいは二重の華奢なストラップ。ヒールはかっちりと太めのローヒールか、現代風に履くのであればドラマティックな8cm以上のスティレット。

季節は1年中。ジーンズに白Tシャツのカジュアルスタイルから、エレガントなスカートや少しかしこまったワンピースのコーディネートまで。女性のクローゼットにあるもので、メアリー・ジェーンに合わせられないものはほとんどありません。

「毎日履いてほしい」という標本技師の要求も、そう難しいものではなかっただろうと想像します。

ボトムスばかり集めすぎて慢性的な靴不足に陥っている私としては、このあたりで万能シューズたるメアリー・ジェーンをワードローブに加え、己の足の如く毎日履きたいくらいです!




 大変ご無沙汰の提出となりました【川邉季織の文藝日誌】。

第3回は、小川洋子著『薬指の標本』/ディアーヌ・ベルトラン監督〈L'annulaire〉についてご紹介しました。




<参考図書>

小川洋子著『薬指の標本』(1994年10月/新潮社)



館長K