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Kiori Kawabeストラスブルゴ福岡店ウイメンズ

川邉 季織

TITLEChapitre3. 薬指の標本~浸食する靴と彼女~

  

2017.01.10

Le musée de STRASBURGO


muséeとはフランス語で博物館の意味。

このページでは2週間に1度、

館長がおすすめするモノやコトについて、

世界中の文学・映像・音楽・絵画といった文化的な視点に関連づけてご紹介いたします。



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小川洋子著『薬指の標本』(1998) ※左:仏語版ペーパーバック 

                   右:2005年公開のフランス映画



海外で有名な日本人作家といえば____

かつてノーベル文学賞を受賞して世界的知名度を確固とした川端康成と大江健三郎はもちろん、現代日本文学界の第一線をゆく村上春樹を思い浮かべない方はないでしょう(ちなみに村上春樹氏は、来る2月24日に新潮社から新刊の発売を予定しており、世界中のハルキストが待ち焦がれていますね)。


館長がフランスに留学していたとき、読書好きな友人に同じ質問をすると、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、と純日本文学作家の名前がならび、次は当然、村上春樹。そしてかなりの確率で「ヨーコ・オガワ!」と好意的な声で挙げられたものでした。


19世紀中頃、主にフランスで顕著となったジャポニスムが象徴する通り、島国特有の排他的文化を背景に育まれた「日本人の美意識」は、それまで西洋文化が礼賛してきた美の在り方に変革をもたらしました。人々は新たな美の視点を獲得するとともに、異文化の介入をほとんど許してこなかった断絶的で秘匿された日本の伝統と文化に、ある種の神秘を感じたのでした。

そして21世紀の今日、様々な人種と文化が混在するフランスにおいて、日本文化はかなり歓迎されている部類だと言って良いでしょう。柔道や剣道、茶の湯や禅など、フランス文化に浸透して最早その一部になったかと思われるものも多く、熱狂的な日本趣味を抱き続けるフランス人も少なくありません。

文学も例外ではなく、フランスの海外文学を扱う書店に行けば littérature japonaise(=日本文学)の棚は大抵、予想よりもはるかに幅をとっています。古典や純文学だけでなく、今話題のベストセラーから新人作家の処女作まで。日本並みの完璧な品揃えとはゆきませんが、国外の書店としては豊富です。


さて、件の「ヨーコ・オガワ!」というのは、芥川賞や泉鏡花賞など数々の権威ある日本文学賞に輝いた作家、小川洋子女史のことであり、先に述べたようなフランスの書店で彼女の作品を見つけるのは至極簡単です。村上春樹がアメリカで愛されている作家とするならば、小川洋子は間違いなくフランスで愛されている作家です
。処女作の『揚羽蝶が壊れる時』や日本で注目が集まった『博士の愛した数式』など、ほとんどの作品がフランスで翻訳出版され高い評価を得ています。

今回ご紹介する小川洋子著『薬指の標本』は、1992年7月に文芸雑誌『新潮』に初掲載されました。2年後の1994年に新潮社から単行本が出版され、2005年にはセザール賞を受賞したフランス人映画監督ディアーヌ・ベルトランによって映画化されました。



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 清涼飲料水の工場で機械に薬指の先を挟んで切断してしまった"私"は、街を彷徨うあいだにたどり着いた〈標本室〉で事務員として働くことになる。

火事で焼けた家の跡に生えたきのこ、亡くなった恋人が作曲した音楽、大切に育てていた文鳥のちいさな骨――それぞれの記憶にまつわる物を標本にしてほしいと〈標本室〉を訪れる依頼者たち。

 そしてある日、"私"は雇い主の標本技術士から「毎日履いてほしい」と靴を贈られるが...


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(主演のオルガ・キュリレンコは、この映画の後、007シリーズにボンドガールとして出演して大きな成功をつかみました)



小川洋子はこれまでの作品で、喪失や孤独、生と死、官能と回帰など、一見してネガティブであったり哲学的であったりするテーマを扱ってきました。すべての作品に共通するのは、圧倒的な静謐。しかし、繊細かつ緻密な言葉運びに加え、作者自身の赦しと救いが感じられるストーリーテーラー振りで、読了感が憂鬱だけで終わらない独特な世界観をつくりだしています。

『薬指の標本』では、"私"が身体の一部である薬指の先を失う「喪失」のメタファーに続き、履かせられた靴によって絡めとられ、浸食されてゆく、支配と隷属の「官能」を描いています。なかでも、標本技師が"私"のスニーカーを脱がせ新しい靴に足を入れさせる場面の描写は秀逸です。静まりかえった空間に響く靴音は、この物語が結末へと向かって滑り出したことを告げるホイッスルのように、鋭く際立った響きを読者の耳に感じさせます。



「___僕に新しい靴をプレゼントさせてほしい。」

「まぁ、ぴったりだわ。(中略)・・・まるで、わたしの足型を取ってから作った靴みたい。」

「・・・これからは、毎日その靴をはいてほしい。電車に乗る時も、仕事中も、休憩時間も、僕が見ている時も見ていない時も、とにかくずっとだ。いいね。」

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___朝、革靴に足を突っ込む時はいつも、ふくらはぎをつかんでいた彼の指の感触を思い出す。・・・(中略)靴は軽やかで、歩きやすかった。ただある瞬間ふと、両足にすき間なく吸いついてくるように感じることがあった。そんなときは、彼に足だけをきつく抱き締められているような気分だった___



靴が次第に足を浸食し、身体と同化して標本技師の支配から抜け出せなくなってゆく過程を、小川洋子は心理的側面と感覚的側面の両方から読者に提示します。しかしこれはいずれも精神上の往来であり、読者が肉体的側面の支配と隷属を意識するのはもっと頁が進んだあとのことです。小川洋子は複雑な文章を書かない作家という印象があります。小学校時代に使った教本のように平易で優しい文体から滲む、不穏な予感と安らぎが綯い交ぜになった空気は読者を包み、締めつけ、いつの間にか私たちは小川ワールドに閉じ込められているのです。『薬指の標本』を読み終わるとき、束縛されたのは主人公だけではなかったと、私たちは気付くことになります。


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館長がはじめてこの本を手に取ったのは、2002年のこと。

標本技師が"私"に贈った靴は一体どんな靴なのだろう?と思いを巡らせていました。

そしてそれは何となく、丁寧になめされた上質で柔らかな革でつくられた靴であるように考えていました。

映画を観たのはもっとずっとあと。

原作に比べると映画版は、セクシュアリティやミステリーを演出しすぎているように感じますが、劇的な起伏のない密やかな映像がフランス映画にしか出せないニュアンスと相まって、眠れない夜にひとりで観たいような、そんな謐かな作品になっています。


監督のベルトラン氏が原作から読み取ったメタファーが視覚化されたことで、内容がより深まった点もあります。監督は物語の主要な小道具となる靴にこだわり、この映画のためにデザイン・製作させてサイズ違いを何足も用意し、撮影がすすむ毎に女優に履かせる靴を小さくしていったということです。また、映画版では"私"が橋を渡る場面が多く挿入されました。生活の拠点となるホテルは港町にあり、"私"が〈標本室〉へ通勤するためには橋を渡らなくてはなりません。これは館長の私見ですが、橋は此岸と彼岸、現実と幻想、生と死をつなぐ中間地点の役割を果たしていたように思います。2つの場所を行き来する"私"ですが、〈標本室〉から肌身離さず履いてきた靴だけは絡みつく蔦のように"私"の足を束縛し、やがて人の知らぬ深淵へと引きずり込んでゆくのでした。鑑賞者にこういった思考の展開余地を与える手法ひとつとっても、ベルトラン氏がいかに小川洋子作品の熱心な読者であったか伺わせるものがありますね。



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標本技師が贈った靴はどんな風だったのだろう___?

今館長の考えるそれは、映画を観たからでしょうか、どこか古風で折り目正しい印象のメアリー・ジェーンであるような気がしています。

丸みを帯びてつま先を柔らかく包むラウンドトゥに、甲を落ち着かせる一重あるいは二重の華奢なストラップ。ヒールはかっちりと太めのローヒールか、現代風に履くのであればドラマティックな8cm以上のスティレット。

季節は1年中。ジーンズに白Tシャツのカジュアルスタイルから、エレガントなスカートや少しかしこまったワンピースのコーディネートまで。女性のクローゼットにあるもので、メアリー・ジェーンに合わせられないものはほとんどありません。

「毎日履いてほしい」という標本技師の要求も、そう難しいものではなかっただろうと想像します。

ボトムスばかり集めすぎて慢性的な靴不足に陥っている館長としては、このあたりで万能シューズたるメアリー・ジェーンをワードローブに加え、己の足の如く毎日履きたいくらいです!




 大変ご無沙汰の開館となりました【Le musée de STRASBURGO】。

第3回は、小川洋子著『薬指の標本』/ディアーヌ・ベルトラン監督〈L'annulaire〉についてご紹介しました。




<参考図書>

小川洋子著『薬指の標本』(1994年10月/新潮社)



館長K