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Norio Surikabe株式会社サポートサーフェス代表 デザイナー

研壁宣男

TITLE職出し

2017.08.07

残暑厳しい日が続きます。
いかがお過ごしでしょうか?
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僕らはというと例年この時期は、新コレクションの職出し(サンプルを工場に依頼すること。)と、秋冬物の生産のデリバリーのタイミングが重なり、何かとバタバタしています。

よくショーの前に「今一番忙しい時期じゃないんですか?」と質問されることが多いのですが、実は職出しの時(今)が一番集中力が必要で忙しい時期なのです。

以前はベースパターン、工業パターン、縫製指示書も自分で書いていましたが、スタッフの成長もあり、工業パターン、縫製指示書は彼らにやらせています。

ただ全型の生地の当て込み、縫製仕様の決定は細かいところまで指示します。使用する生地も特殊な生地が多くなり、型によって当て込んだ生地に最も適した縫製仕様を考え出し、見い出さねばいけません"ロックして縫い割り"なんてほとんどないのです。

縫製する工場側の立場になってみると、非効率的で(それは結果的に工賃にも関係してくることです)手間、時間、注意が必要になってくるはずです。冷静に見てみると随分面倒な仕様が多い。工場さんからは「ここをこうしたらもっと合理的にきれいにできますよ」というアドヴァイスはいただきますが「もう少し簡単にしてください」なんて声を聞いたことがありません。とてもありがたいことです。そんな素晴らしい工場さんに支えられています。

ブランドの責任は、手間がかかっても自分たちが一番いいと思ったものを届けること。

僕は元来比較的合理的に物事を進めたい人間でした。イタリアにいた頃ですが、担当するコレクションの規模が大きくなるにつれやや合理性を追求するよう傾向にあったように思います。コレクションはある意味全体像で作りますが、全体像には満足しても、コレクションを構成する服一点一点の個性が何か物足りないモノに感じるようになったのです。商品は着る人との個の問題であり、個の集まりがコレクションということに気付いたわけです。

デザインは多くの制限の中での作業です。いろいろなところで合理性は必要ですが、クリエーションに合理性は考えてはいけないですね。
というわけで、新作期待しててください。発表は9月12日。

TITLEググってみた道-5 VIGEVANO

2017.05.10

またまた久しぶりの更新になってしまいました。
GWいかがお過ごしになりましたか?
僕は去年始めての北海道で美瑛、富良野地区に行ってきた流れで今年は知床、網走 男一人旅に行ってきました。
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というわけで、前の更新の日付けをみたらなんと15ヶ月ぶりです。

続けていたテーマ「ググってみた道」の第5回目です。
ブログに書き綴ったらいいだろうなと思う事も他にありますが、一応始めたシリーズですからきりのいい所まで書かせて下さい。初志貫徹。継続は力なり?

前回はイタリアに渡って仕事をはじめた時期に住んでいたホームステイ先のことでしたが、結局約2年お世話になりました。
ロメオの会社の分裂騒動があった後、自分の進路を不透明にしたままの状態で、日本に一時帰国したものの、成田に降りたその時の余りの蒸し暑さが「イタリアに戻ろっ」と決意させました。2年という滞在期間、イタリア語、仕事のスキルアップどれをとっても中途半端さを感じていたからかもしれません。
イタリアに戻ったとしても、東京に居残ったとしても、まず住居から探さなければ行けないというゼロからの再出発。

約2ヶ月後、またもや帰国予定のない片道航空券でイタリアに再渡伊。
ミラノ市内の安ホテルにとりあえず滞在。
まずは会社分裂後(結局ロメオが会社を出て行った)のカルラさんに挨拶に行きました。
彼女は騒動の中心にあったにもかかわらず、気落ちする様子もなく明るかった。もぬけの殻になっていた事務所、アトリエは既に次のプロジェクトの為になんかざわざわしている。その時既に、10 corso como は始動しかけていたわけです。 なんというパワー!
会社分裂のあと、ロメオの後を追わずカルラさんの元に残ったアシスタントが2名。カルラさんの話によると、「もう単独デザイナーと働くのはうんざりだわ。デザイナーの名前がなくともいい商品というのが新しいと思うのよ」という事で、お店(10 CORSO COMO)のプロジェクトとは別に、既に「nn studio」(Non c'e Nome-名前のない)ブランドを始動させようとしていたのです。
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自然な流れで「norio 一緒にやらない?」

次の日より新天地(とはいっても、同じ場所)で働く事になりました。
仕事内容、仕事量はロメオの時と比べ物になりませんでしたよ。
言葉もままならないアシスタントの一員としての仕事からいきなり、プロジェクトを背負う羽目になってしまったのですから‥...

で、この時の同僚はミラノから南東方面、電車で約30分のVIGEVANOという小さな美しい街に住んでいたのですが、「地元で知り合いがアパート貸してるからどう?」という事で見に行くととてもステキなリノベーションされた屋根裏部屋。80平米。キッチン、電気、カーテン、家具が殆どなく自分で手配しなければいけない物件でしたが家賃が約8万と格安!?(東京、ミラノの感覚だと20万以上の物件に感じたわけです)
後日、「ところでnorioは家賃いくら払ってんの?」と紹介してくれた同僚に聞かれ、払ってる家賃を教えると
「ぼってんな~」
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日本ではあまり観光都市として有名ではありませんが、ミラノP.ta Genova駅から約30分、中心にはレオナルドダ・ヴィンチの設計した広場あるこじんまりしたとてもステキな町です。ミラノに行かれたら是非寄ってみてください。


で、VIGEVANO
には結局7年位住む事になりました。



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TITLEググってみた道−4 ミラノホームステイ

2016.02.23

つづくと書いておきながら、随分ご無沙汰しておりました。
書き綴るという作業が体に染み付いておらず、思い感じたことを放置してしまっている感じです。
一旦頭の中でクリエーションのモードが視覚にシフトされると、どうも倫理的に文章で組み立てる作業へのギアチェンジが困難になってしまうみたい。


グーグルアースで、思い出深い過去に辿ってきた道のりを覗いてみるということで、前回はペルージャの語学大学の短期集中コースのところでした。


約3ヶ月の集中講義を終えた後、ミラノに戻って、念願のロメオの会社で働けるようになったわけですが、生活の基盤となる住む場所がありません。所持金も底を突きつつあり、精神的にも非常に心細く落ち着かない時期だったわけですが、会社からほど近い一泊2500円位のユースホステル並みの一つ星の安宿を見つけしばらくの間そこから会社に通っていました。売春宿?怪しげなホテルだと同僚から言われるくらいのところでしたが、自分自身が充分怪しかったと思われるのでまあいいかなと。

仕事をはじめて3ヶ月ほど経ち、そろそろ安宿から出たいと思っていた所、メキシコ人の同僚が住んでいたホームステイ先のファミリーの部屋の空きが出たということで紹介を受け、そこにお世話になることになりました。
事故で旦那さんを亡くしたお母さんと、三人兄妹のファミリーでしたが、二人の息子さんが結婚したため空いた部屋の一つを僕が借りることにしました。

大きなアパルタメント。4LDKで、そのうち3つの部屋にはバス、トイレがついていました。200平米以上はあったっけか。

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僕が借りることになった部屋にもバス、トイレがあり、日本でいうと12畳位の充分な広さのものでした。
その上、食事付き(毎日いわゆるフルコースでとても美味しかった!)でしたから、約2年間のホームステイはイタリア食文化を知る上でもとてもいい経験でした。

ここで

イタリア滞在中に気がついた日本と違う食の周辺事情

- 食事には真っ白いコットンツイルのテーブルクロスが敷かれること。(例外的なファミリーをみたことがない)とてもエレガント。
- ワイン通がほぼいない(食事中ワインのうんちくを聞いたことがない)
- カプチーノは朝だけ。(今では僕の常識)
- マヨネーズ、ケチャップ、サラダドレッシングはまず無いと思ったほうがいい。(これも今では僕の常識)


2年後、会社の分裂事件で進路に迷った自分は日本に一時帰国を決めました。帰国したのは真夏の猛暑の成田。あまりの暑さに、成田に着いた途端ムリムリと、再渡伊を決意したわけです。


すぐつづく(と思います)