杉本博司という現代アートの作家であり、フォトグラファーをご存知でしょうか。
東京に生まれ、ロスのカレッジ・オブ・デザインを卒業し、後に、建築家となり、さらに、ニューヨークのパーソンズ(ファッションの登竜門)の名誉博士号を取得した、というアーティスト。
今、品川の原美術館で、「ハダカから被服へ」と題する展覧会が開催されています。
実は、お客様のM.Kさんにご紹介いただき(ありがとうございます!)行ってきました。
人間が猿から進化し、被服を纏う前の世界から、革命のように生み出されたファッションの歴史をひもときながら、語られる杉本氏の言葉に、独特の「被服」と「人間」に関する考察を通じて、哲学の道に引き込まれた、とても興味深い展覧会。
中でも、会場のGallery1に書かれた考察が、ファッション=纏うことが好きなわたしの心の中をのぞいたようで、とても面白かったのです。
この考察を引用させていただくと...
「なぜ、私たち人間は服を着るのだろう。私達は装い装う。私は
私以外の何者かになりたい。いや、私であるためには、私
は私を装わなくてはならない。現代文明のただ中では、裸
は許されない。私は裸の自分を羞じる。私は着せ替え人形だ。
毎日服を着て、私は私を演出する。私が裸でいられる短い
時間、それは入浴の時と、子孫繁栄の時。私が子孫繁栄の
時へと導かれるためには、夥しい擬態と演出が必要だ。私
が私を裸の恍惚へと導くためには、夥しい数の服が必要と
される。
その短い子孫繁栄の時が過ぎ去っても、私は私の装いを続
けなければならない。他人はあなたの装いを見て、あなた
を認知する。それがあるにしろ、ないにしろ、私は私の知
性を装い、私の資産を装い、私の嗜好を装う。装いは服だ
けではない。私のの表情、私の仕草、私の眼の翳り、それら
は自動的にあなたの着るものと連動している。あなたの意
志とは係りなく、あなたの着る服が、あなたの表情を決
める。あなたは、あなたの服の気持ちになる。顔というあ
なたの仮面は、あなたの服に最もふさわしい仮面を選ぶ。
大昔、私達が裸で暮らしていた頃、私達は幸せだった。」
この考察は、わたしには、本当に、服を纏うことの素晴らしさから、服を纏うことの意味、服を纏うことの効果、服を纏うことの楽しさと喜び、つまり、服を纏うのことの隅から隅までを、とてもよく言い当てていると感じました。
わたしが、お客様にお洋服をきていただく時、その方の一番いいところが
引き立ち、その方の一面が強く引き出され、その方の思いを演出するものをおすすめするようにしています。
そして、おつきあいを長くしてくださっているお客さまには、時々、その人が自分では到底選ばないようなものをわざと提案したりします。
例えば、シャープで、クールなお洋服、黒がよくお似合いになるようなお客様に、丸みのあるフェミニンxクールなものをおすすめしたりします。もちろん、お客さまは、自分では手に取らないものなので、疑心暗鬼、ちょっと渋々(!?)試着されたりするのです。
鏡の前で、少し恥ずかしそうに、まだ違和感を覚えながら、たっているその姿に、ジュエリーや、バックや、靴を加えて、少しづつ、その人のイメージに近づけていく。そしたら、最後に、「なるほどね」という納得のお声をいただいたりするのです。
つまり、それは、わたしとお客様とのコミュニケーションであり、お客様のイメージを別の角度から切り取った姿なので、もちろん、到底、イメージからかけ離れたものは、はなからおすすめしませんから、服を通して、お客様の客観的なキャラクターのひとつを具現化している訳ですね。
じゃあ、私は?というと、よく、どんなお洋服が好きですか?と聞かれるのですが、いろんなお洋服が好きなんです。それは、杉本さんのいう、「服の気持ちになる」のが好きで、毎日の始まりには、今日は、どんな人とあって、どんな場所に行くんだっけ??から考え、そこにいる自分を想像し、どんな自分でありたいかによって服を決める、そこには、今日のお天気も関係してきて、時には、今日の体調も関係してきます。
展覧会には、「時代の気持ち」を表した、数々の革命的なお洋服たちが、美しいポートレイトとなり、裸だった人類の歴史と、服の歴史が交錯し、本当に楽しい展覧会でした。
着るということが、あなたの一生を大きく変えるかも??
ぜひ、足をお運びください。
そして、最後にミュージアムショップで購入した、この展覧会の本、「秘すれば花」、この美しい比喩の意味を、ぜひ、ご堪能あれ!
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